幼少期~高校時代
広大な北海道芽室の大地の中で地球といつも遊んでいた創業者。
携帯電話やパソコンの無い時代。テレビもまだ白黒の時代でした。
夏は川で釣りをしたり泳いだり、冬は天然のスキー場スケート場で友達と遊んでいました。
中学の時は田舎から出てきたこともあり、いじめに合いました。
その時心に決めたことは、私が絶対に人にはイジメはしない、させない、
思いやりの理念がここで生まれた気がします。
高校に入り、生徒会会長、サッカー部副キャプテン、ボーイスカウトと忙しく活動しており、
その中でチームを作ることの難しさ、リーダーシップの難しさを学びました。
その頃は、学生は失敗がまだ許される。社会に出たら失敗はかなり痛い目に遭う為学生のうちに
色々と体験しておこうと考えていました。
高校生の時も、一番苦労したことは、やはり人でした。
同期に指示を出したり、学校祭を成功させるための会議、
部活動でサッカー部を勝利に結びつける為のチーム作り。
胃が痛くて昼ごはんが食べられない日々がよくあったのを覚えています。
歯科医師を目指した理由
私が歯科を目指したのは、兄が歯科医師だったこと、それから物をなおすのが大好きだったからでした。
私はプラモデルとラジコンが大好きだったのですが、両親はおもちゃの類は全く購入してくれませんでした。
その為、友人から壊れたラジコンを集め直しては、大会で優勝し懸賞金で新しい物を買っていました。
これは、高橋家の考えだと思いますが、収益を産まないものには投資はしない。医療と教育にはお金を使うという考えでした。
おかげで私はお金を使わず頭を使うことを覚えました。私の考えは、新しい物を買うのは簡単だけれど、
良いもの使える物をなおして使う、という精神がこの頃から宿っていた気がします。
初めての開業時も、ユニット、顕微鏡は全て一流のものでしたが、すでに15年から17年経過しているものもありました。
メンテナンスをしっかりすればしっかり動きますし、駆け出しのお金のない時にはとても重要な考え方だと思っております。
これからもそのようにしていきたいと思っております。ましてや、歯の場合新しい物を買い替える訳にはいきません。
私は壊れてしまった歯を治すことは天性だと思いました。物であれば、買い替えが効きますが歯はそのようにはいきません。
歯学部入学
私は北海道医療大学歯学部に入学。勉強?ラクビーとスキーに明け暮れる毎日でした。
私はバイクが大好きで、この時もバイクは友人が使わなくなった物を使い、
旅費のほとんどが恩師の先生方からの寄付を集め、日本縦断をしました。
歯学部在学中に、私は将来地元に帰り入れ歯で困っている人に良い入れ歯を作ることができればと思いました。
私の祖父、叔父、祖母等入れ歯で悩んでいるのを見て、なんとか故郷に入れ歯の技術を持ち帰りたいというのが夢でした。
また、入れ歯の方は高齢者が多く、全身管理が必要になる為医学的知識が必要になると思い、
学長に相談し東京医科歯科大学高齢者歯科に修行に行くことになりました。
こちらは入れ歯、クラウンブリッジと共に全身管理を行う講座でした。ただ、3年間無給だということ。
私は兄(慶三先生の父)に仕送りの相談をしました。父は既に現役を半分退いておりそんなに力はありませんでした。
また、妹もまだ私立の大学に行っておりましたので、生活はそんなに楽な物ではありませんでした。
兄はお前の為にまたボロを着て頑張るから、勉強して来いと快く東京に送り出してくれました。
歯学部卒業後
東京医科歯科大学歯科麻酔科
東京医科歯科大学高齢者歯科
千葉県立こども病院麻酔科
埼玉県立総合リハビリテーションセンター
MMデンタルクリニック インプラントセンター
カリフォルニア州 ロマリンダ大学麻酔科
フィンランド ツルク大学麻酔科研修
日本歯科麻酔認定医
日本歯内療法学会専門医
PENN ENDO International Program Resident










