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ヒロ横浜デンタルの原点~創業者の生い立ち(後編)~

医学部卒業から恩師との出会い

歯学部在学中に、私は将来地元に帰り入れ歯で困っている人に良い入れ歯を作ることができればと思いました。
私の祖父、叔父、祖母等入れ歯で悩んでいるのを見て、なんとか故郷に入れ歯の技術を持ち帰りたいというのが夢でした。
また、入れ歯の方は高齢者が多く、全身管理が必要になる為医学的知識が必要になると思い、
学長に相談し東京医科歯科大学高齢者歯科に修行に行くことになりました。
こちらは入れ歯、クラウンブリッジと共に全身管理を行う講座でした。
ただ、3年間無給だということ。私は兄(慶三先生の父)に仕送りの相談をしました。
父は既に現役を半分退いておりそんなに力はありませんでした。
また、妹もまだ私立の大学に行っておりましたので、生活はそんなに楽な物ではありませんでした。
兄はお前の為にまたボロを着て頑張るから、勉強して来いと快く東京に送り出してくれました。

国家試験合格と共に東京に出てきました。3年間、無給ほぼ無休。
給料はなく、仕送りでは足りないため、風呂なしの宿を借りて数年間過ごしました。
バイトをしながらその時から貯金と投資をし、開業資金を徐々に貯めていました。
高齢者歯科学講座は、自分で治療した患者さんの技巧物は自分で作るというスタイルでしたので、
臨床の3倍の時間が掛かると言われています。診療終了後はいつも技巧におわれて帰宅は25時がほとんどでした。
その時の恩師、水口俊介先生は人間的にも技術的にも共に優れた方で、
現在は東京科学大学(旧:東京医科歯科大学)の名誉教授をされております。

私は水口先生から技術それから人を育てるということを学びました。3年間の研修が終わり、私は渡米を考えていましたが、
同大学の深山教授から、麻酔科で勉強しないかとのお誘いを受け全身管理の勉強と歯科麻酔認定医の試験に臨むことになりました。

一年後千葉県立こども病院に出向になり、ここで人生の恩師に出逢います。
バカやろーこの子を殺す気か!今でも思い出しますが、今まで生きてきた中で一番ハードな一年でした。
給与は出ていましたが、朝7時から夜10時。遅い時は朝の4時まで手術をしていることもあり、
まだ30歳でしたが、体力的にも限界でした。土日も患者のケアがあり、時給にするとほぼ500円程でした。
ただ、私は今後の歯科医師人生の中で、代価の先払いが必要なことを知っていましたし、
お金の為に働くのではなく学ぶ為に働くということを心得ていました。が、この時は既に30歳になっておりました。

ここ千葉県立こども病院は、まさに最後の砦でした。
他の病院でも救うことのできない患者を最後の最後まで救う病院でした。
今でも覚えていますが、前日まで元気だった子が、オペをしないと助からない為手術になりました。
前日一緒にお話をして笑っていた子供を翌日私が麻酔を担当しました。
私は朝4時に帰りましたが、手術は朝の6時までかかりましたが患者様は天国に行ってしまいました。
人が目の前で死ぬ。私は歯科医師として、麻酔科医として初めての経験で、物凄いショックと責任を感じました。
私が出会った恩師の中で一番忘れられない上司が内田先生でした。感情に左右されず、常に冷静で人を育てる方でした。
内田先生は私に対してはものすごく厳しく甘えを許さない方でした。
彼は私がこれから人を育てる人間になる為に、非常に熱心に教育してくれました。
技術、知識、そして考え方等。彼の言葉で私の中に残っているのは、
“20代30代で手を抜いてきた先生を多く見てきている。私が高橋 浩に厳しくするのは、
そのような人間になって欲しくない。また、これからお前は人を育てる人間になるのだから、絶対に手を抜いてはいけない。”
そう言って私を熱心に育ててくれました。
毎日がとても苦しく、朝のカンファレンスではいつも叱られ、私自身が生きた心地がしませんでした。

ある時朝のプレゼンで叱られなかった時でした。
オペ室で他の麻酔の先生を手伝っている時に突然“なんださっきのプレゼンは!患者殺す気か!今すぐ調べてこい!”
私はすぐに図書館に行き調べましたが分からず。数分してから内田先生がやってきて
“本は見つかったか? これだこれ!午後のオペまでに読んでおけ!”全て英語の長い文献でした。
必死に読んで理解しようとしましたが、午後の内田先生の口頭試問には惨敗。
“全くわかってない!” 自分の子を持ち育てること、真剣になって叱ることは愛情と忍耐がいることを、
自分が一クリニックのトップとして、一家の大黒柱として身に染みて内田先生には畏敬の念を抱かずにはいられません。
こんな忙しい中、私は歯科の中でも難問と言われる歯科麻酔の認定医を取るという医局でのミッションを背負っておりました。
教授の名誉にかけて落ちる訳には行きません。そうは言ってもいつも帰るのは夜中の11時か12時。
毎日1時間しか勉強することができませんでした。命を背負いながら、毎日勉強する日々。。。。物凄く辛い日々でした。
認定医の試験が迫って来て、答え合わせも内田先生が夜遅く、また休日も面倒を見てくれました。
試験は2日に渡って行われ、1日目の試験で出来なかった部分を次の日の面接で聞かれるというのが麻酔認定医の試験の常識でした。
解らなかったことを次の日までに調べておくというのが、麻酔科医として必要でした。その為、1日目の試験を内田先生に送り、
模範解答を頂きたかったのですが、あいにく海外に旅行とのことでした。でも内田先生は飛行機の時間を変更し、
1日目の試験の解答をファックスで10枚程正確な解答を送ってくれました。
2日目の口頭試問、面接は内田先生の質問より遥かにレベルが低い為、物凄く簡単だったことを覚えています。
そして歯科麻酔認定合格!これは国家試験よりも嬉しかったのを覚えております。
私はこの千葉の病院での一年で、人を育てることというのは叱るだけではなく、しっかりフォローし教えなければ、
ついてこないという難しさを学びました。1年間終了後涙が止まりませんでした。
私はこの恩師にどう報いようか?彼は最後に“私に恩返しの必要は無い、お前は次の世代を育てるんだ” という言葉を残してくれました。


ヒロ横浜デンタルでは、現在研修及び勤務医の先生がのべ15名、当院で勤務もしくは全国で社会を支えています。

彼ら彼女たちは低い賃金で学び、学ぶ為に働いています。
そして、現在私が技術を伝えた藤野院長が、次の世代の育成をおこなっています。
これを10年後100年後と受け継ぎ、スタッフと患者様の未来の為に人材育成を行なっていきます。

こども病院から20年が経ち、2020年に我が恩師にお礼をすることができました。
内田先生は大病を患い現在は現場を退き、当院には歯のメンテナンスに来院して頂いています。

根管治療・精密審美歯科【ヒロ横浜デンタル】横浜地域で評判

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